「国民のために働く」菅総理
「自助 共助 公助」の後にまさか
「国民のために働く政治」とくるとは。
何かここまで来るともうわざとなのかと思えてきます。
菅氏という人は大事なところで本音を隠さないという意味での正直さを持った人なのでしょう。
国民のために働く…
こんな至極当たり前な筈のことをわざわざ今、心新たにとばかりに堂々と掲げてくるということは、今までは完全に「別なもの」の為に働いていらしたのですね。
自分たちのやることが全く国民のためになっていないという自覚はあったということでしょうか。
それにしても総理になったど初っぱなから少しも悪びれもせず「国民のために」と言ってのける彼に誰か
「菅総理それは、その挨拶はちょっと、そんなもん当然だろうって突っ込まれますので」
と諌められる人はいなかったのでしょうか。
いなかったとすれば問題で、いても聞く耳を持たなかったとすればそれはそれで問題、お得意の原稿頼りではなく珍しく自由にお喋りした結果だとすれば大問題です。
彼に望まれていることがたとえ「限られた期間の安倍政治の継承」のみだとしても、好き放題やられては困ります。
本気で「何がおかしいのかを見極める」つもりがお有りなら、まずは安倍政権時代の負の遺産から目を背けずに向き合うところから始めてもらいたいものです。
時に今回一番興味深かったのは、当初の予想に反して石破氏をおさえ二位に躍り出た岸田氏の、選挙後の安堵感と満足感にあふれた表情です。
笑顔を作ってもいつもどこか引きつったような、ピリピリした雰囲気の印象が強かった方があれほど緩んだ顔を見せるということは、今回の総裁選は本当にご自身の今後の命運を左右するものだったのだなぁと感じ入るものがありました。
きっと「次は満を辞して自分が」というワクワク感が抑えられなかったのでしょうが、そもそも総裁候補なんてものを順番や論功行賞で次は誰々、次は誰々といって決めるのは間違いだと私は思います。
しがらみなど関係なく出たい人が自由に手を挙げれば、つまらない出来レースとは異なる結果が出てより面白いのではないでしょうか。
ですから石破氏も出馬回数など気にせずに、意欲がある限りこの先も何度だって手を挙げるべきです。
上っ面だけの言葉でなく「国民のために政治をしたい」という当たり前の意気込みがしっかりとベースにあるなら、そしてそれを実行するためのビジョンがあるならどこの党の誰であろうとウェルカムなのです。