いなかの主婦よりもの申す

地方在住いち主婦の気になるニュース論


まさかこんな形でお別れすることになるとは、少しも思っていませんでした。

年も年だしと、何があってもおかしくないのだから気をつけてと、あれだけいつも自分から父に電話で伝えていたのに。

どこかで「父は長生きする」と勝手に思い込んでいたのでしょう。

離れて暮らしていながら実は少しの覚悟も出来ていなかった、どこまでも親不孝でだめな娘でした。


こんな内容を、此処に書くことになるとは。

少しの時間が経っても、気持ちの整理は全く出来ないままです。

整理など、もしかしたら一生出来ないのかも知れません。


今朝方、亡くなって以来初めて父が夢に出て来たので、その備忘録としてここに残しておこうと思いました。

正確には夢に出てきたのは二度目ではあるのですが、一度目は自分の脳が願望にこじつけて強引に見せてきたような後味がしたので、起きた時に特に何か深く感じるということはありませんでした。

でも今回はあまりに思いがけず、それでいていかにも父らしく自然に夢の中に現れたので、夢の中から起きるまで泣き通しでした。

以下、夢の内容。



ひとり故郷の街の中を歩く私。

お昼近くになり、どこかお店に入ろうかと思うも、コロナだしテイクアウトしてホテルに戻って食べるべきか…と思案。

少しの寂しさを感じつつ歩き続けていると、右横に人の気配。

ポロシャツをスラックスにインしてベルトを締めた、見慣れたスタイルが視界に入り、ハッとして顔を見るとやはり父。

少し若い、やたら歩くのが速かった元気な頃の父が笑顔で並んで歩いている。


「えっ…何で?」

絶句する私。夢の中でも既に亡くなっていることは理解している。

「何食べるの?」

問いには答えない父。ただひたすら、ご機嫌そうにニコニコ。

言葉はいつも大雑把。

だけどその一言だけで、私に好きなお店を選ばせてくれて、ごはんを食べさせてくれようとしているのが分かる。

たまらなくなって、涙が出て父の顔も見られなくなる。

言いたいことも聞きたいことも山ほどあるのに言葉は出ず、

「…何でもいい」

としか返せない。

せっかく会えたのに。あまりに出来が悪い私。

でもこんなやりとりこそ、父と私の間ではまさにいつものルーティンだった。

「何でもいいじゃ分かんねっちゃ」

郷里の訛りでそう言って、弾けたように笑う父。

ご機嫌な時の、私の中に一番強く残る父のカラッとしたイメージそのまま。

機嫌の良し悪しがとても分かりやすい人だった。

その後も、もう少しやりとりは続いた気がする。

でも結局、店に入る前に目が覚めてしまった。

やわらかくてあたたかな父の空気に久々に直に触れ(たように感じられて)、嬉しいやら悲しいやら寂しいやら、ごちゃごちゃの感情に任せて目が腫れるまで泣いた。



そんな明け方でした。

思い出しながらこれを書いていても涙が溢れて止まりません。


父へ。

本当にごめんなさい。

心から、ありがとう。

どうかもう苦しむことなく、安らかに。

あの満面の笑みがもし今の気持ちであるならば嬉しいです。

いただいた大切なこの命を全うしてそちらに行った時には、どうか向こうのみんなと一緒に迎えてください。


それまでもう少し。

どうかどうかずっと笑顔で。

おつかれさまでした。

ありがとうございました。

東日本大震災 10年


10年が経過しても気持ちの面では何も変わりません。

だんだんときれいに整備されてゆく被災地の沿岸部の景色とは対照的です。

私が幼い頃に亡くなった祖父母の家が仙台市若林区の海の前にありました。

夏は多くの客で賑わう、市内に住む人にはおなじみの海水浴場です。



震災当時、私は東京・新宿区のビルの高層階で仕事をしており、免震構造で恐ろしいほどに左右に振れるフロアの中、片手で倒れそうな大画面テレビのスタンドを押さえつつもう片方の手でデスクをつかみ、やっとのことで激しい揺れをやり過ごしました。


震源宮城県沖と分かった後で地元の幼なじみに連絡を取るとその時にはまだ電話が繋がり、声を聞けたことにひとまず安堵。

しかし父親の携帯電話は不通でした。



それから間もなく、ついさっきまで倒れぬようにと押さえていた傍らのテレビから平地をどんどんと飲み込んでいく真っ黒な津波の映像がうつし出されたのです。

詳しい場所の情報はないものの、上空から捉えた景色には見覚えがありました。

そこですぐに、

「ここにいま津波が来ているということは沿岸部は壊滅だ」

と理解出来ました。

同時に当時の私は「仙台市全体が壊滅だ」とさえ思いました。

それぐらいの衝撃でした。

そして生家を案じて海沿いへ向かった可能性もある父親と、現在その家に住む父の兄一家と連絡が取れないことにどんどん不安が募っていきました。



携帯の充電が出来なかったという父と連絡がついたのは、結局地震から一週間以上経過してからです。

直後には一度電話が繋がった幼なじみともその後は全く連絡がつかなくなり、しばらくの間は本当に生きた心地がしませんでした。


非常に幸いなことに近い親族、親しい友人はみな無事でした。

父の生家は周辺一帯共々流され跡形もなくなりましたが、父の兄一家も早々に避難していて助かりました。

ですが、代々その土地で暮らしていれば集落の方々とは大なり小なり繋がりがあったはずです。

たとえ自分がいま親戚とは認識していなくても、何代か遡ったり横の繋がりを辿れば必ずご縁がある。

そうした意味では分かる範囲の親族が無事だったと聞いても、被害のあまりの大きさに素直には喜ぶことは出来ませんでした。



当時の恐怖、強い不安、絶望感。

そして幼い頃から何度も何度も訪れた祖父母宅と海水浴場を震災後しばらくして訪れた時の、あまりの風景の変わりように感じたやり切れなさ、無力感。

それらは10年がたった今でも少しも薄れることはなく、ふとした拍子に思い出されて胸が締め付けられる思いがしたり涙が止まらなくなったりします。

現地で直接被災した訳でも、身内を失った訳でも親しい友人を失った訳でなくても、です。

そう考えると大切な家族も家も一度に失ってしまった方々の心の傷や痛みはいかばかりか。

自分だったら受け止められず、既にこの世にいなかったかも知れない等とすら思います。




着々と整備され一見すると復興が進んでいると思えるような地域でも、その実まだまだ多くの根本的な課題を抱えている場合が多く、真の意味での復興は程遠いと感じています。


遠く離れても死ぬまで変わらず大切な故郷。

出来ることは僅かですが、経験とそこから得た学びを生涯忘れることなく足を運び続けたい。


今年も亡くなられた方々へ心からの追悼の意を表し静かに黙祷します。


求められる力


世界レベルで疫病が流行するような現在の状況では国の舵取りは非常に困難です。


政治的な力関係云々によって選ばれた首相が引き継ぎ仕事の感覚で処理にあたれるような問題ではそもそもないと言わざるを得ません。


こんな時に国民の先頭に立って民意を汲み力強く率いていけるのは、少なくともそれ相応の専門的知識、経験、危機管理能力、人間力のいずれかが必要であると思います。



「経験」は政治家としての経歴の長さを指すものではありません。政財界という狭い世界の中で身につけた処世術がいかに優れていようとも、それがこの困難な状況下において具体的に役立つことはないでしょう。

むしろ政治家等の特殊な職業以外で得られる多種多様な知識や普遍的な価値観にこそ真の「経験」としての意味がある気がします。



「専門的知識」と「危機管理能力」は国のトップが必ず持っている必要があるとは思いません。ただ無いなら無いなりに謙虚かつ素直にその分野のプロフェッショナルに助力を求め、状況に応じて暫定的かつ部分的に役割や権利を委譲しその分野に関しては完全に任せてしまう勇気を持つべきだと思います。

政治的な意図や政治家個人の都合で横槍を入れられたり口を挟まれたりする事でせっかくの専門家の知識や能力が十分に発揮されないのでは何の意味もないからです。


最後に「人間力」ですが、これも政治家としての経歴の長さ同様に年齢に比例するものではなく、学歴にも関係はなく、いかに困難な局面を自力で克服してきたかという底力、表面的なことで人を批判したり見下したり区別したりせずに相手の懐に入り誠実に言葉を交わし良好な関係を築ける力、といったものではないかと考えます。



さて、ここまで勝手に挙げさせて頂いたものは今の首相及び大臣らにはどれ程あるでしょうか。

現在コロナ対策である程度以上の結果を出し、かつ国民からの支持も得ている国のトップは間違いなくこれらの力を持っていると私は思うのです。



腹黒く自己の保身や利益の事しか考えられないのが日本の政治家としての正解だと言うのならそれはそれで構いません。

しかし現在のような非常時にはせめて期間を限定してでも上手く対処にあたれる人材をトップに置いて欲しい。

もしくは、何でもかんでも中央に依存する気はさらさらないですが現状勝手に枠を飛び越える事は出来ないようなので、各自治体に判断を任すというなら言葉だけではなく形として正式に権利を移して欲しい。

それをやらないので各自治体の長もいつまで経ってもいちいちご意見伺いをしなければならないのでしょう。

バラバラにやられては困るというのであればやはり中央としての指導力・牽引力が不可欠である、それだけのことなのです。



一番大事なことが何であるのか、それが分かる人に舵を取って欲しいと思います。

意識の差


新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


時の流れが早いと書いた昨年末から年明け今日までがあまりにあっという間過ぎて恐ろしくて震えが来ます。

こんなにどこにも行かず過ごしたお正月休みは初めてでした、おそらく皆様そうだったかと思いますが。



そうこうしている間にもコロナの感染者数は増加の一途で緊急事態宣言を出すの出さないのとまた言い始めているようですが、目に見える数としてだけでもこれだけ増えているという状況の中で、この辺鄙な片田舎ですれ違う県外ナンバーの多さ(主に首都圏です、今日もまだ沢山いました)を見るに宣言を出したところで果たして何が変わるのか…?と懐疑的に思わざるを得ません。

本気で短期集中的に人の流動を止める気であるのならばもはや罰則の導入しか手はない気がしますが、出歩く人々の中には普段から我慢することを知らない政財界の富裕層の方々が多く含まれているでしょうから、身内の首を締めるような策を取れるのかどうか、ですね。



我が家でも大晦日には近隣の親族で集まって夕食をとるのが常でしたが、今年は見送りました。

夫の親族ですので決して強くは言えないものの、早い段階から少しずつ「今年はやめておいた方が」「会食控えてって言われてるし」と夫経由でそれとなく家族に中止を匂わせてもらっていたところ最終的に見送られることになったのですが、外で親族と顔を合わせた際に「みんな元気だし大丈夫だとは思うんだけどね」とか「誰もかかってないしね」とか言っていたので、もしや中止派は私だけだったのか…?私ひとりのワガママで中止的な感じになったのか…?と未だに疑心暗鬼でドキドキしております。



しかし「自分はコロナにかかっているかもしれない」「人にうつす可能性がある」と日頃から考えている人って本当に少ないのだなあと、この一件ひとつ取ってみてもよく分かります。


無症状が大半なんだから検査に行きようもなければ陽性判定されようもなく、何をもってして「大丈夫」とか「かかってない」なんて言えるのかと全員に説教したいぐらいなのですが如何せん立場が弱いので出来ないのがつらいところ。

ちなみにこれがもし我が実家の話であったなら「こんな時に集まりなんてやる訳ないでしょうが何考えてんのバカなの」の一言で終わりです。

と言うよりおそらく「大丈夫」「やろう」と言い出す人は誰もいない、そういう慎重派な家系ですので至極楽天的(?)な夫の家系とは正反対です。


良し悪しは無いのですが今は、今だけは中止が正解だったと思いたい。

思わせて下さい。



諸事情で一昨年も帰省が出来なかった為、もう二年ほども年老いた父と会えていません。

電話の声が元気そうなのがまだ有難いのですがさすがにそろそろ短時間でも直接会って話をする時間を作りたい…今年は叶うのでしょうか。



この後もまだ大雪が怖いですし、不要の外出は引き続き控えて参ります。

自分はもちろん、まわりまわって大事な人たちを守る為の行動でもあると思っています。

一年、また一年


20代後半あたりから一年の過ぎる速さを感じ始め、今ではもう恐ろしいばかりのスピードに思えてなりません。

今年は特に仕事で忙しい日々だったのとコロナによる慣れない生活のバタバタでよりあっという間でした。


もっと考えたいこと書きたいこと沢山ありましたが中々まとめられず、書いては消しを繰り返した挙句ブログの更新も滞りがちで、改めて自分が「同時に複数のことに全力投球出来ない人間」であるという残念な事実を突きつけられ口惜しくてなりません。



来年はとにかく皆がある程度自由に移動が出来るくらいにはコロナが落ち着いてくれることを祈るばかりです。

まさか感染症のせいで地元の親や友人にすら会うことが出来ない状況になるとは思いもしませんでしたので、やはり生きていると色々あるものだなと実感します。

そして今こうして健康に年末年始を迎えられているのも決して当たり前ではないこと、そのありがたさを噛みしめつつこの先も油断することのないよう慎重に過ごして参ります。


個人的に来年からは(正確には今月半ば以降から既に)ガラッと運気が変わり、これまでの長い停滞からスカッと目の前が開ける…という星廻りらしいので少々楽しみにしています。

占い等々は自分にとって良いことだけ信じておきたいタイプです。



今年よりは生きやすい一年になることを信じて。

どうか恙無く新年をお迎え下さい。

今年もお目汚しの数々失礼致しました、よろしければまた来年もどうぞご贔屓に。

経済経済と言われても


本格的な寒さが到来して、いよいよコロナの大波再びといった状況になってきました。


私自身はたしてここまで全く罹患していないのか、または一度くらい無症状でサラッと罹患しているのか全く分からないまま生活していますが、毎日公表される感染者数を雑な目安としても国内人口の何割かは既に一度は罹患しているのではないか…という気はしているので、そんな中で身内も含め現時点までコロナの症状に苦しめられた事がないというのは幸いなのでしょう。



感染者数の増加については気温・湿度変化が大きな要因であるのはおそらく間違いないと思います。

ただそんな中で、専門家や国民からブーイングを受けるまで国がノーコントロールのままGoToを推進していたということが更に事態悪化に拍車をかけたというのもまた間違いないと私は考えます。

というか誰しもが内心そう思っているはずで、そこを明言しないのは少なからずGoToによる恩恵を受ける方々、GoTo推進により自己の評価が上がる方々がそうと認めることでマイナスが生じてしまうことを避けたいが為、もう理由はそれだけだと思います。

ですが認めようが認めなかろうが、事ここに到ればそうそう経済状況など変わりはしないのではないでしょうか。



個人差はありますが、生活の不安要素が消えない限り人は積極的に消費行動は起こしません。

コロナに罹患すること、または罹患することで生じる様々な問題という不安要素を抱えた状態では普通の感覚で考えれば旅行や飲食は心から楽しむことは出来ません。

そして今、心から楽しめないことにお金を遣えるほどの余裕も国民の多くは持っていないでしょう。

給付金だって日々の生活支出に消えるか、先々の不安から貯蓄に回すしかなかった方が大半のはず。



旅行、観光、航空、鉄道等直接的に大打撃を受けている業界があるのはもちろん承知をしているし、どうにかしたい気持ちがあるのは皆同じですが物事には順序とタイミングがあります。

まずは大きな不安を取り払ってからでなければいくら勧められようが割引があろうがそうそう人は動かず効果も限定的なのですから、「状況を見つつ中止と再開を繰り返す」形での断続的な維持でもそう変わらない気がします。


更に、既にコロナによる負の影響は上記の限られた業界のみならず幅広く出始めており、我が家においても会社員の夫の給与はコロナ後1割カット、賞与においては五割以上減となっています。

いくら旅行に行きたくとも外食したくとも先立つものや意欲がなければそもそも不可能なので、私としては経済を回せと言う前にそれを可能にするお金をまず国民に回してくれと言いたい。


それは一時金、給付金の意味ではありません。

そもそもコロナ前から消費は落ち込んでいたのであり、その原因は国民の所得減少です。

月々の身入りが増えてどうにか計画的な貯蓄の目処が立ってそこで初めて安心感と消費意欲が湧いてくるのであって、それ無しにいくら付け焼き刃的な対策を講じても大きな効果には結び付かないでしょう。


まぁそもそも国が呼びかけているのはコロナさえ何とかなれば派手に消費活動をしてくれるはずの一部の限られた層の方であって、大半の貧しい国民の微々たる消費などにはなから期待はしていないのだろうと思いますが。



オリンピック開催に向けての道筋を立てる必要性から生じている各種の無理も、私には悪い結果に繋がるイメージしか持てません。

コロナ禍後初のオリンピック開催などというとんでもない時間と手間と重責のかかる試金石的役回り、本当なら引き受けたくないというのが本音でしょうがこれも「経済」の為にはやらざるを得ないのでしょうね。


難儀なことです。

記事が消えた?


慌ただしくしていてなかなか更新出来ずにいたのですが、ふとブログを確認してみるとなぜか10月に投稿していたはずの記事が消えている?


私の記憶違いでなければですが。



ただ口惜しいことに、肝心の消えた記事の内容を自分で忘れてしまっていてなぜ消えた(消された?)のかとアレコレ考えることすら出来ません。

もう10月…的なことを冒頭に書いた記憶があるので投稿したこと自体はたぶん間違いないと思うのです。

それを自分で消すことはない、というより多忙でほぼほぼノータッチだった為消去出来ようもない。


もしも消されたのだとしたら消したタイミングでせめて一言頂ければこちらもやりようがあるのに。

場を借りて発信させて頂いている以上はご指示があれば従うのですが、予告も報告もなしの強制執行となると記事内容を忘れてしまっては気のつけようもなく、すみません予めお詫びしておきますがおそらくまた同じことを繰り返してしまう可能性大です。


今後もお目汚しご容赦下さい。



アメリカ大統領選はやっと趨勢が判明したといった感じでしょうか。


私は一国の長にはとにかく物の道理のわかる聡明かつ冷静沈着な紳士に就いて頂きたいので、

そういう意味では公開討論など見た限りいずれも微妙でしたがやれ外交だ経済だと諸々の支持意見がいくらあろうとも、トランプ氏ご本人のあの「自分が法律だ」的奔放・傲慢なご性質は自由の国アメリカの大統領と言えど全く尊敬されるべきものではないと思い続けてきた事もありどうにか一旦はその座からおりて頂けそうで

(ものすごく揉めるでしょうがとりあえずは)

ひと安心です。




そして日本の首相はと言えば、もとから不安視されてきた国会での件の学術会議をめぐる答弁がビックリする程のしどろもどろぶりで驚きました。


明確な意図や理由があり且つ政府側の手順に何ら問題が無かったのであれば、そのいかに正当であるかの説明を野党も黙るほどの説得力をもって一度しっかり行えばそれで足りる話ではないかと思うのですが、未だもってそれを出来ていないどころかどんどん墓穴を掘り進めているようにしか見えず、もっと他にも時間とお金を割いて議論すべき問題は沢山あるよなぁと思ってしまう訳です。



…この程度の内容なら消されないのでしょうかね?(笑)


10月の投稿、ホント何を書いたんだろう…。

私の書くことなんていつも大して変わらないと思うのですが。