いなかの主婦よりもの申す

地方在住いち主婦の気になるニュース論

眩しいほどに輝く命


とても残念な訃報が今年またひとつ。


自分よりも年下の方、しかも自ら命を断たれたというニュースには非常に驚き、何ともいたたまれない気持ちになりました。



三浦春馬さんについては詳しくは存じ上げないものの、テレビドラマから舞台、果ては歌唱までとマルチに活躍されている若手俳優さんという認識で、最近ではミュージカルの熱演ぶりをワイドショーなどで垣間見て「本当に多才で素晴らしいなあ」と感じていました。


ドラマ撮影の最中、また今後のお仕事の予定も詰まっているという中での突然の事態。

人一倍責任感の強い性格だったという周囲評や、優しく繊細で落ち込みやすい一面もあったという近しい方からのお話などを目にする限り、あまり人に委ねたり甘えたりせず一人抱え込んでしまうタイプの方だったのかも知れません。

抱え切れない苦悩と心労に、張り詰めた糸がぷつりと切れてしまったのでしょうか。


いずれにせよ、自らこの世を去る選択をされるほどの強烈な心の痛みには他者の推測など到底及びようもありません。



芸能界というところはよく言われる通り、本当に厳しく難しい世界です。

才能、容姿、並外れた努力、運、それら全てが不可欠で、且つ全てが揃っていたとしても活躍が約束されるという訳でもありません。


当然強いメンタルもバイタルも必須ですが私が最も厄介だと思うのは、

表現者として繊細さや感受性の高さが求められる一方で、相当な鈍感力も持ち得ないと到底長続きしないということ。


要は一見正反対とも思える性質を臨機応変に、あたかもスイッチを切り替えるが如く使い分ける事が出来る、ある意味「性格破綻者」にも近しいようなギリギリのラインを上手に保持出来る一握りの人しか渡っていけないのが芸能界であると私は考えています。


こう書くととても高度な技術のように思え、事実私のような凡人には全くもって不可能なことなのですが、同様にいくら望んでもその切り替えが出来ずに志半ばで去っていく人も多い中、なんの苦労もせずあたかも生まれつきの才能のように自然にこなせてしまう人もいます。

また時間をかけることで少しずつ切り替え方を学び対応出来るようになっていく人もいます(このタイプの方のほうが実は多いのかも)。


良い人だからそれが出来る、または悪い人だから出来るといった単純な括り方は全く当てはまりません。

また楽観的なタイプ、悲観的なタイプという区分とも少々異なるような。

世の中には置かれた状況によって感覚や考え方を器用に切り替えることが「出来る人」と「出来ない人」がいて、芸能界という場所に身を置くのならばそれが「出来る人」の方が向いている。

それだけのことだけれど、これは大きなことです。



そして芸能界の中でも主演をはるようなトップクラスの人気を誇る方々となると、それは尚更シビアに求められる資質となるはずです。

千単位、万単位の数のスタッフが関わる作品の顔として頭を使い気を使い、常に矢面に立ち続け最後まで務め上げなければならない…その重圧は常人には計り知れず、一般的には高額と思えるギャランティさえその労苦には到底見合っていないかも知れません。


だからこそ、私は特段大きなスキャンダルも揉め事もなく長年芸能界の一線で活躍し続けている方々を、本当に心の底から凄いと思っています。

まさに選ばれし人々なのでしょう。



ですが、いくら華やかで夢のように美しい世界に身を置いていても、彼らも同じ生身の人間です。

疲れもするし傷つきもする、全てを投げ出して逃げてしまいたくなることもある。

一度は身に付いた器用な切り替えの術だって、気持ちが飽和状態になってしまえば上手く機能しなくなる。


眩しく輝く芸能界のスターが突如として消えてしまうことが少なくないのは、一度バランスを崩してしまえば二度と立ち上がれなくなるほどのあやうく脆い均衡の上で彼らが踏ん張っているから。

逆に言えばその脆さこそが彼らの強烈な輝きの所以であり、私たちの心を惹きつけるものなのかも知れません。



何も芸能界に限ったことではなく、心優しく不器用な人が人生に行き詰まった時、死を選ぶしかない世の中はとても残念です。

タフで器用で世渡り上手なことが悪いとは決して思いませんが、「優しさ=弱さ」としか見なされないような構図、風潮には断固として異議を唱えたい。


本当の意味での「多様性の許容」を目指すのならば、偏った性質の人ばかりが幅をきかせるような社会のあり方自体を見直すべきではないでしょうか。



ただただ、今はどうか安らかに。

悲しい負の連鎖が続くことがありませんように。