英語民間試験導入のゴタゴタに思うこと
こんなのは学生にとっても学校にとっても甚だ面倒かつ迷惑なだけで、じゃあ一体どこに何のメリットがあるのかと言えば、主にはB社利権にあやかれる真っ黒な大人たちの懐があったまるというだけのお粗末すぎる話。
身の丈とか言われちゃったらもはや馬鹿馬鹿しくて試験なんか受ける気なくなります。
ただでさえ国民の殆どは収入も増えず生活するのもやっとなのに、やっぱり余裕のある家の子にしかまともな教育機会は与えられないのだと分かれば無理に子どもを持とうなんて思わなくなって、少子化のスピードはますます加速しますね。
上は一体何がしたいんでしょうか?
本当に少子化どうにかしようと思ってる?
もうどうでもよくなってる?
私は英検というものを受けたことがありません。
就職に有利だとかで周囲には受ける人も多かったですが、英語が好きではないので受ける気になれませんでした。
費用もけっこうかかるし。
英語が話せれば便利なんだろうなあとは思いますが、生まれてこのかた日本から出たいと思ったことがなく海外旅行にもさして興味がない私にとっては、英語は生きていく上で決して必須ではありません。
英語の授業が始まった中学の頃からずっと思い続けてきました。
終生日本で生きていくつもりなら英語なんて必要じゃないのになぜ選択教科ではなく必須なのか?
日本にいる外国の人とコミュニケーションを図るような機会がもしあるとしても、向こうがこっちに来ているのだから別に胸を張って日本語で話せばいいのでは?
学ぶことに意義を見出せず、当然やる気も出ず成績も上がらず、なのに大学入試においても英語は避けようがないと知った時には落胆しました。
そうやって長いことこっちは無理やり受けたくもない授業を受けさせられてきたのに、結局国はあとから「日本の英語教育は実用的じゃない」とか言い出していそいそと内容を見直す始末。
じゃあここまで我慢して「使えない英語」を詰め込まれてきた私たちの時間は一体何だったのか。
返して、貴重な若い時間。
話したいと思うなら学べばいいし、話せるなら存分に活かせばいい。ただしそれはいわゆる学力偏差値の高低と同様に個性のひとつであって、話せないからダメと決めつけられるようなものではない。
そもそもなぜ英語だけをそんなに重用するのか、背景に国力や国家間の政治的な関係性しか感じずげんなりします。
自分の国さえ良ければいいとしか考えられないような狭量な人間がたとえ手違いであってもトップに立つような国に、まだそこまでヘーコラしなければなりませんかと言いたい。
そういえば大学時代、言語学か行動学か文化学か忘れましたが、何かそれ系の講義の論述試験の際に上記のような内容(なぜ日本は英語至上主義なのか、なぜ英語を話せないことをガッカリされなければならないのか)をヤケクソ気味に、でもそれなりに理論立てて書いたらまさかの満点をもらって動揺したことを思い出しました。
その教授も似たような考えの持ち主だったんでしょうか。
民間試験導入うんたらとか言う前に、そもそも学校教育の英語は選択教科にしたらどうでしょう。
文系大学の入試だって学科によっては英語は不要、選択制でいい。
日本文学やら日本近世史やらを国内で学ぶのになぜ英語の学力を問う必要があるのか?
要らない人は一生要らないし、興味ない人は一生興味ないんです、他国の言語なんて。
世界に羽ばたいていくような人は放っておいても身の丈に合わせて自発的に何ヶ国語も学びますから、どこぞに妙な媚を売って学びたくない人にまで英語を強要するのはやめて下さい。