いなかの主婦よりもの申す

地方在住いち主婦の気になるニュース論

児童相談所というところ


子どものいたましい死が話題にのぼることが多いです。

ただでさえ少子化で明るくない未来を微かに照らす光であるはずなのに、やるせないですね。


管轄の児童相談所の方が記者会見を行い、「いかに当時の対応がまずかったか」を戸惑いながら語るその内容、そしてその様子を見ていると、問題はとても根深いところにあるなあと感じました。


児童相談所というところは、抱える案件に対して常に圧倒的に人員が足りないといいます。

児童福祉司や児童心理司といった方々が主業務を担当しますが、職員の全員がそうした専門知識を持っている訳ではなく、一般の公務員の方も多いとのこと。

現場としては当然スキルを持つ人をもっと増やしたいので、業務を補佐する期限付き臨時職員を募集するのですが、その採用条件も「児童指導員、社会福祉士、保育士等の資格を有する者」等となっていて、なかなかハードルが高いです。


もともと児童相談所職員になることを目指して大学に入る人というのは、果たしてどのくらいいるでしょうか。

また大学で専門教育を受けて関連資格を得た人が、将来の様々な選択肢の中からわざわざ極めてハードであると分かっている児童相談所職員を選ぶ確率はどの程度でしょうか。


デリケートな内容を扱うため、職員もそれ相応の知識と資質を持つ選ばれた者であるべきという前提はよく分かります。

しかし、切羽詰まった人間を相手に日々神経をすり減らし、犯罪と隣り合わせの環境で働くという一筋縄ではいかない機関の職員が、机上のお勉強に秀でているというだけで適していると言えるでしょうか。


差し当たって人員が足りないのなら対処法は増やすしかなく、それでも増えないのなら間口を広げるしかありません。

専門知識のない人でも熱意と体力と胆力があれば活躍の場があるかも知れない。それくらいの柔軟さを持って対応しなければ、今の世の中で人材確保など望めないでしょう。


また今回のように、児童相談所職員が職務上物理的な危機に直面する機会も少なくはないと思います。

目の前の危険をまず回避したいという自衛の意識から過ちを犯してしまう、その代償は時に悔やんでも悔やみきれないほど大きなものになりますが、全く気持ちが分からないとは言い切れません。

何よりそうした危険が想定されるという現実自体が、児童相談所職員が職業として忌避される一因とも考えられます。

子どもを守りたい、助けたいという尊い動機がいくらあっても、それを遥かに凌駕する恐怖が存在したら躊躇するのは当然でしょう。


それならば、情報の共有等というフワフワした形ではなく、警備や常駐といったより実効的な方法で警察との連携を図れば良いのではと考えますが、縦ばかり気にして横と仲良くする気のない上の方々はきっと腰を上げないのでしょうね。


件の会見で問い詰めてくる記者の厳しい質問に対し、目を伏せて力なく答える相談所責任者の姿からは、言いたいことは沢山あるけれどこの場は謝るしかないというやる方ない思いが滲んでいたように感じました。

人手が足りず、忙殺される中で自ずと分かりやすい優先順位をつけてそれに従って動いていたら、取り返しのつかない過ちを起こしてしまった。

けれどそれは、自分たち現場だけの責任なのか…。


担当機関の責任者である以上、過ちを認め謝罪することは必要だと思いますし、現実に過失を犯した彼らを必要以上に擁護する気もありません。

ただ、「二度と同じ過ちを繰り返さないよう努力する」ことは果たして彼ら職員の頑張りだけで可能なのか? と疑問にも思うのです。


限界を超えている窮状に本気で向き合おうとせず、ひとたび問題が起これば現場担当者を矢面に立たせて事態の収束だけを図ろうとする。

そんな場当たり的な思考しか出来ないトップこそが元凶ではないでしょうか。


ちなみに児童相談所を管轄するのは厚生労働省です(実質は地方自治体に移管という逃げ道あり)。

推して知るべしですね。