いなかの主婦よりもの申す

地方在住いち主婦の気になるニュース論

年寄りは、年寄り。


たまには「今週のお題」をテーマに。



70代前後の高齢運転者が絡む事故のニュースが後を絶ちません。


それらに触れるたび、離れて暮らす70代半ばの自分の父親のことを考え不安でたまらなくなります。

帰省する度に父の運転する車に乗りますが、幸いまだヒヤッとした経験はなし。

しかし高齢者の老化の速度は驚くほど速く、小さなきっかけで急激に体力が落ちたり運動能力が低下したりと、去年大丈夫だったからと言って今年も大丈夫という保証はありません。


結局見た目がいくら若かろうが、「60代70代なんてまだまだこれから」と気炎をあげようが、そのくらいの年代になれば人間は確実に老います。

気持ちの若さほど脳も体も若くない。

特に反射神経や瞬発力などは真っ先に衰えるので、そこそこの年齢になったならば車の運転などは本来するべきではないと私は思います。


人間が日常的に車を運転するようになってまだほんの百数十年、車社会と長寿社会ここに極まれりで倣うべき前例がないとは言え、寿命の延びに合わせるまま高齢運転者を放置している現状は、あまりにも無責任ではないでしょうか。



極端な話をすれば、ひと昔まえの「60歳定年」に合わせて「60歳免許返納」と定めることだって制度としては出来る訳です。

何がネックで出来ないかと言えば、自らの「車」や「運転」にこだわりやプライドを持つ一部の方々のワガママを除けば、残る問題は「生活の足」と「労働」です。


車ありきの街構造にし過ぎたせいで、特に地方では本来歩きで事足りた買い物や通院が、大型ショッピングセンターや医療センター偏重の影響で商店街や個人病院が潰れ、ままならなくなりました。

バスや電車などの公共交通機関も自家用車の普及に押されて零細化し、経営維持の為の減便や運賃値上げが更なる客離れを招いて、もはや立て直しも不可能な悪循環。

外出にいちいちタクシーを使える余裕のある人などごくごく僅かです。


そして「60歳定年制」をジワジワ崩し出し、税金欲しさに高齢者をむやみやたらに「まだ若い」「働け」と洗脳する国に乗せられて働く人、特に氷河期世代で経済的自立もままならない大きな子どもを抱え、労働を続けざるを得ない高齢者が増えました。

私の父も例に漏れず、定年後も経済的余裕がない為に再び職に就き、働いています。

長年車通勤だった彼らに、年をとって余計に過酷かつ不便な交通機関の利用を促すのには無理があります。


要は国やら社会やらが、免許を取り上げた後の足代わりとなる十分な体制を整えられないから、そして安心してスッキリと現役を引退出来るほどの経済的安定を与えられないから、交通の安全を犠牲にして高齢者の運転を何の制限もなく許容し続けている訳です。

若い若いと散々煽る一方で、運転だけ「危ないから…」と言うのは矛盾も甚だしいので制限したくても出来ないんでしょう。



「寿命の延び」と「身体的な若さ」とに、あまり関連があるとは思えません。

死ぬまでの時間が長くなったというだけで、何の支障もなく全ての日常行動が可能ないわゆる「若くて元気」な時間が長くなっている訳ではないでしょう。

単なる「平均寿命」と「健康寿命」とに大きな開きがあることはその証拠です。


「生涯現役」などと謳って動物学的に無理のあるところまで強制的に生産活動に参加させられることは、果たして人間にとって幸福なことでしょうか。

そうせざるを得ないほどまでに社会の質が低下してしまっていることを、私たちはもっと強く意識して考えるべきです。


すべての「年寄り」が「年寄り」らしくのんびりと隠居生活を楽しめる…そんな社会が理想であり、私の望む老後のかたちです。

存命中に果たされることがないのは分かりきってはおりますが。