いなかの主婦よりもの申す

地方在住いち主婦の気になるニュース論

「国民のために働く」菅総理


「自助 共助 公助」の後にまさか

「国民のために働く政治」とくるとは。


何かここまで来るともうわざとなのかと思えてきます。

菅氏という人は大事なところで本音を隠さないという意味での正直さを持った人なのでしょう。



国民のために働く…

こんな至極当たり前な筈のことをわざわざ今、心新たにとばかりに堂々と掲げてくるということは、今までは完全に「別なもの」の為に働いていらしたのですね。

自分たちのやることが全く国民のためになっていないという自覚はあったということでしょうか。



それにしても総理になったど初っぱなから少しも悪びれもせず「国民のために」と言ってのける彼に誰か

菅総理それは、その挨拶はちょっと、そんなもん当然だろうって突っ込まれますので」

と諌められる人はいなかったのでしょうか。

いなかったとすれば問題で、いても聞く耳を持たなかったとすればそれはそれで問題、お得意の原稿頼りではなく珍しく自由にお喋りした結果だとすれば大問題です。



彼に望まれていることがたとえ「限られた期間の安倍政治の継承」のみだとしても、好き放題やられては困ります。

本気で「何がおかしいのかを見極める」つもりがお有りなら、まずは安倍政権時代の負の遺産から目を背けずに向き合うところから始めてもらいたいものです。



時に今回一番興味深かったのは、当初の予想に反して石破氏をおさえ二位に躍り出た岸田氏の、選挙後の安堵感と満足感にあふれた表情です。

笑顔を作ってもいつもどこか引きつったような、ピリピリした雰囲気の印象が強かった方があれほど緩んだ顔を見せるということは、今回の総裁選は本当にご自身の今後の命運を左右するものだったのだなぁと感じ入るものがありました。


きっと「次は満を辞して自分が」というワクワク感が抑えられなかったのでしょうが、そもそも総裁候補なんてものを順番や論功行賞で次は誰々、次は誰々といって決めるのは間違いだと私は思います。

しがらみなど関係なく出たい人が自由に手を挙げれば、つまらない出来レースとは異なる結果が出てより面白いのではないでしょうか。



ですから石破氏も出馬回数など気にせずに、意欲がある限りこの先も何度だって手を挙げるべきです。

上っ面だけの言葉でなく「国民のために政治をしたい」という当たり前の意気込みがしっかりとベースにあるなら、そしてそれを実行するためのビジョンがあるならどこの党の誰であろうとウェルカムなのです。

次期首相候補に思うこと


ちょっと今回は自分の備忘録的に。


菅氏が正式に総裁選への出馬を表明されました。

会見やテレビ出演でご自身の目指す方向性や国家像など語っておられましたがその中で印象的だったのは、フリップに書いてドンと掲げられた


「自助・共助・公助」の文字。


ご自身がこれをモットーに生きて来られたというアピールなら良かったのですが、どうもそうではなく国民に対する

「大変な時や困った時はまず自分で何とかする、それでもダメなら周囲の人と助け合う、それでもダメなら国を頼れ」

というメッセージのようなのです。



何だか小学校や中学校に掲げてある校訓なんかで見たことあるような…という印象ですが、今日び学校のいじめ問題だって「一人で悩まないですぐ相談して!」と諭される世の中にあって、コロナを筆頭に生活基盤そのものを脅かされる人が多い中、いまこのタイミングでこれを掲げる、何というか自分たちが散々やらかした挙句にそっぽを向いた国民に対して拗ね切って「それなら勝手にやれよ」とでも言いたげな突き放し方に、隔絶感とガッカリ感しか持たなかったのです。



大抵の人は、困ったなとなればまずは自分で何とかしてみようと試みるはずで、それすらしない完全他力本願派の少数の方々へ向けてのメッセージだったのかな?とも思うのですが、いずれにしても会見で長々とご自身のいかに苦労人かつ叩き上げ人生であったかのアピールをされた割にどしょっぱなから放つ「別に国民に親身に寄り添う気はありません」感、さらに前政権での問題点を突かれれば以前と何ら変わらぬすっとぼけたかわし方…

こうなるとデキレースによってこの方が総理になったその後のことを想像するに、本当に「悪い意味での安倍政治の踏襲にしかならないのだろうな」としか思えません。

であるからこそのデキレースなのでしょうが。



せっかく二世でもボンボンでもなくいわゆる一般庶民の出自をお持ちで自らそれを誇っておられるのなら、たとえピンチヒッターと言えども「安倍政権とはこうも違う」というのを前面に押し出す勇気を持ってもいいのにと思いますが、政権のスポークスマンとしてあれだけ放漫にやられた後では逆に空々しいと判断されたのでしょうか。


またこれも安倍氏と同様なのですが、基本的に原稿にばかり目を落として記者や質問者の目を見て話すことが少ないのと、相手を皮肉る時だけ笑顔を見せる、これは誰に対しても悪い印象しか与えないのでどうにかならないかなあと思いました。

真面目な場所で必要以上にヘラヘラしろと言うのではなく、基本仏頂面なのならどんな場面であっても仏頂面を通した方がマシということ。

政治に関係のない場面ではニコニコしてらっしゃるのもお見かけするので、トップに立たれのるなら表情コントロールも必要ではないでしょうか。



そしてこれはいわゆる選挙というものに出られる方全てにお願いしたいのですが、出馬表明などで国民に対してアピールしたい時、「これまでの功績」よりも「これからの政策」を語ることにより重きを置いて欲しいのです。

逆の人が多過ぎる。

自分はこんなにすごい、という話を延々と展開することにあまり得はありません。

そこにはあっさり触れて、自分は国の進むべき道についてこれだけ緻密に考えているのだということを強くアピールする方が潔く、より好感が持てると思うのです。


今回の菅氏の会見では、語る時の気持ちの込め方も含めて圧倒的にご自身の出自と功績に重きを置いた印象で、それに対しての目指すところが「地方分権」ではあまりにぼんやりふんわりしていて何も感じるものがありませんでした。



ピンチヒッターとは言え叩き上げで一国の長にまでなるのは容易なことではないでしょう。

関係者による菅氏評で多いのが「慕ってくる人やしっかり向き合おうとする人にはとても優しく、真摯に応えてくれる」というものですが、これもまた安倍氏と同じ。

政界ではこういう人が「人望、人徳がある」と言われ、頂点に立つ資格ありと見なされるのですね。


しかし個人的には自分と考え方や思想を異にしていたり、立場上敵対するような相手にも胸襟を開き、敬意と誠意を持った良い関係性を築ける人こそ人望が厚いと感じますし、自分を慕ってくる人を可愛がるのは別段人徳者でなくとも至極当然のことのような気がしますが。



早くも派閥間のえげつない駆け引きの渦中におられるようですが、無事総理になられた暁にはなるべく目線を国民に向けて下さいますようお願い致します。

期待薄ではありますが。



何となく、にも意味はある


気づけば一度も更新出来ないまま8月が終わっておりました。

最低でも月一の更新は目指しているので何度か書きかけたものの、途中で納得がいかなくなってやめたりと調子が出ず、情けない限りです。


とにかく夏に弱い。湿度に弱い。

涼しくて湿度も低くて快適と聞かされて連れられてきた夫の地元でよもやこんな思いをすることになろうとは…いささかの騙された感を覚えながらこの何年か過ごしております。

近くにはいわゆる避暑地がありますが、もう近年は真夏の暑さは都心と変わりません。

深夜〜早朝は気温が下がりますが入眠時エアコン無しは厳しいので結局都心にいるのと変わりません。

地球上から「避暑地」という言葉が消えていくのはもう時間の問題なのでしょうね。



そんなこんなしている間に安倍首相が辞任の運びとなりました。

急なような、以前より体調不良説がまことしやかに囁かれ続けていたのでそこまで驚きもないような、まぁ「過去最長政権」の誉れは得たのでもう良しとしたのだろうなと思えるタイミングでの展開でした。


前述の通り私も体はそう強い方ではなく、安倍氏のように難病を抱える身ではないながらもここぞという時に全く踏ん張りの利かない己の体に嘆く人生を送っているので、その意味ではお気持ちは幾分かは察せられます。

お疲れ様でございました、お体をどうかお大事にという言葉をまったく月並ではありますが、花向けに。

ただ辞任を契機にこれまでのあれこれが何故だか無かったことのようになって急に不自然に褒めそやされるムードになるのは妙な気がしています。



そんな辞意表明の会見の翌日からは報道の内容は後任人事一色。

総理になるなんて全く考えていないとかつて言っていた菅氏がいまや最有力候補に、そしてかつて党員投票を行わずに総裁選を行うと決めた民主党を当時散々こきおろした菅氏が同じ選出方法で次期総理におさまるというのが、どうやら現時点での既定路線だそうなのです。

結局同じ手法を取るのならあれこれ文句つけなきゃ良かったのに。

それが政治というものなんでしょうか。



次期総理に果たして誰が相応しいのか、候補として名前が上がっている方々を見ても「この人はやめてくれ…」と思いはしても「この人ならば」と思える人はそういません。

二階氏が「我が党は人材豊富なので」と言い放っていらしたのには中々度肝を抜かれましたが、どれだけ候補が上がろうと裏側の策謀に次ぐ策謀によってほとんど事前に結果は決まってしまうであろうことは分かっているので、正直そこまで関心も持てません。

これが国民投票による選出だったら話は全く別なのですが。



そんな中でもどうも気になるのは、「石破氏を支持するのは政治を知らない素人だけ」というコメントがちらほら目につくこと。

石破氏の国民人気、とりわけ地方での人気が高いことの理由を「バラエティ番組などにも出ていて知名度が高いから」として、さも政治に精通している人間なら石破氏を支持などしないと言わんばかりの書き方が多いようなのですが、まず疑問なのは、


前提として政治を詳しく知っていなければ政治家を応援してはいけないのか?

別にそんなことはないと思うのです。

政治に詳しい人だけに投票権が与えられている訳ではないですよね?

どんな理由で誰に票を投じようともそれは自由で、与えられている選挙権をどんな形で行使しようと人にとやかく言われる筋合いはない。


その点では、「何となくこの人がいい」とか「何だかいい人そう」だとかという、ざっくりとした曖昧な理由で指示を受けることそれ自体にも大きな意味があると思うのです。



人の第一印象や肌感覚も決して侮れないものがあり、相手の話し方や笑顔、ふとした仕草などから垣間見える本質を人間はわりと敏感に感じ取ります。

そこに魅力がないならば、いくらテレビにたくさん出ようが人気を集めることはないでしょう。

何かしら人の注目を集める理由が確かにあって、その結果の支持率の高さであるならば、少なくとも「政治に詳しくないから」などと支持者を貶めるような言葉でそこに疑義を呈するのはお門違いです。


しばしば取り上げられる「韓国・中国贔屓」という政治的な方向性について、そこが理解が出来ないから支持しないというのも一意見。

オタクで猫好きなところに親しみを感じるから支持するというのも一意見。

誰かを支持する理由に優劣も上下もないのですから、自分の意見と同様に人の意見の自由も認めたいものです。



かくいう私もポツポツ気になるところはあるにせよ、石破氏に対して悪い印象はありません。

人柄や性質が首相に向いているかどうかとなると難しい部分はあるかも知れませんが(なんせ今までが真っ黒な印象だったので)、弱い人の痛みが分かる人間にトップに立ってもらいたいという私の希望に叶う方だとは感じています。



さてさてどうなりますか。

しばらくは情勢を見守る日々が続きそうです。

眩しいほどに輝く命


とても残念な訃報が今年またひとつ。


自分よりも年下の方、しかも自ら命を断たれたというニュースには非常に驚き、何ともいたたまれない気持ちになりました。



三浦春馬さんについては詳しくは存じ上げないものの、テレビドラマから舞台、果ては歌唱までとマルチに活躍されている若手俳優さんという認識で、最近ではミュージカルの熱演ぶりをワイドショーなどで垣間見て「本当に多才で素晴らしいなあ」と感じていました。


ドラマ撮影の最中、また今後のお仕事の予定も詰まっているという中での突然の事態。

人一倍責任感の強い性格だったという周囲評や、優しく繊細で落ち込みやすい一面もあったという近しい方からのお話などを目にする限り、あまり人に委ねたり甘えたりせず一人抱え込んでしまうタイプの方だったのかも知れません。

抱え切れない苦悩と心労に、張り詰めた糸がぷつりと切れてしまったのでしょうか。


いずれにせよ、自らこの世を去る選択をされるほどの強烈な心の痛みには他者の推測など到底及びようもありません。



芸能界というところはよく言われる通り、本当に厳しく難しい世界です。

才能、容姿、並外れた努力、運、それら全てが不可欠で、且つ全てが揃っていたとしても活躍が約束されるという訳でもありません。


当然強いメンタルもバイタルも必須ですが私が最も厄介だと思うのは、

表現者として繊細さや感受性の高さが求められる一方で、相当な鈍感力も持ち得ないと到底長続きしないということ。


要は一見正反対とも思える性質を臨機応変に、あたかもスイッチを切り替えるが如く使い分ける事が出来る、ある意味「性格破綻者」にも近しいようなギリギリのラインを上手に保持出来る一握りの人しか渡っていけないのが芸能界であると私は考えています。


こう書くととても高度な技術のように思え、事実私のような凡人には全くもって不可能なことなのですが、同様にいくら望んでもその切り替えが出来ずに志半ばで去っていく人も多い中、なんの苦労もせずあたかも生まれつきの才能のように自然にこなせてしまう人もいます。

また時間をかけることで少しずつ切り替え方を学び対応出来るようになっていく人もいます(このタイプの方のほうが実は多いのかも)。


良い人だからそれが出来る、または悪い人だから出来るといった単純な括り方は全く当てはまりません。

また楽観的なタイプ、悲観的なタイプという区分とも少々異なるような。

世の中には置かれた状況によって感覚や考え方を器用に切り替えることが「出来る人」と「出来ない人」がいて、芸能界という場所に身を置くのならばそれが「出来る人」の方が向いている。

それだけのことだけれど、これは大きなことです。



そして芸能界の中でも主演をはるようなトップクラスの人気を誇る方々となると、それは尚更シビアに求められる資質となるはずです。

千単位、万単位の数のスタッフが関わる作品の顔として頭を使い気を使い、常に矢面に立ち続け最後まで務め上げなければならない…その重圧は常人には計り知れず、一般的には高額と思えるギャランティさえその労苦には到底見合っていないかも知れません。


だからこそ、私は特段大きなスキャンダルも揉め事もなく長年芸能界の一線で活躍し続けている方々を、本当に心の底から凄いと思っています。

まさに選ばれし人々なのでしょう。



ですが、いくら華やかで夢のように美しい世界に身を置いていても、彼らも同じ生身の人間です。

疲れもするし傷つきもする、全てを投げ出して逃げてしまいたくなることもある。

一度は身に付いた器用な切り替えの術だって、気持ちが飽和状態になってしまえば上手く機能しなくなる。


眩しく輝く芸能界のスターが突如として消えてしまうことが少なくないのは、一度バランスを崩してしまえば二度と立ち上がれなくなるほどのあやうく脆い均衡の上で彼らが踏ん張っているから。

逆に言えばその脆さこそが彼らの強烈な輝きの所以であり、私たちの心を惹きつけるものなのかも知れません。



何も芸能界に限ったことではなく、心優しく不器用な人が人生に行き詰まった時、死を選ぶしかない世の中はとても残念です。

タフで器用で世渡り上手なことが悪いとは決して思いませんが、「優しさ=弱さ」としか見なされないような構図、風潮には断固として異議を唱えたい。


本当の意味での「多様性の許容」を目指すのならば、偏った性質の人ばかりが幅をきかせるような社会のあり方自体を見直すべきではないでしょうか。



ただただ、今はどうか安らかに。

悲しい負の連鎖が続くことがありませんように。

コロナ自粛の難しさ


夫の従兄弟家族(東京在住)から来た「夏にそっちに遊びに行く」という連絡に対し夫がOKを出したという事後報告を受け、せめて一言相談をして欲しかったなと悶々としたのですが、

そう思うということは自分の中に「今はまだ来て欲しくない」という意識が確かにあるのだと改めて自覚した次第です。



テレビのニュースで東京のお店の店主が「東京が危険なところだと思われて観光客が減るのは困る」という趣旨のコメントをされていたり、

一定数の観客を入れてのスポーツ等のイベント再開が報じられたりする一方、

緊急事態宣言解除後にまた一気に増えたコロナ感染者の数に大臣が神経を昂らせたり、

都知事が「不要不急の用事で都外に出てくれるな」と言ってみたりと、

何もかもが浮き足立ってどうにも方向性が定まらず、個人レベルでの行動判断がなかなか難しい状況になっています。



要は国としては何かしら指示を出したくても自粛が絡めば再び補償金の話になるのでそれは避けたい、経団連から文句を言われるので経済活動も拡げていきたい…けれども明らかな第二波を引き起こすわけにもいかない。

どれをも切り捨てられないばかりに再び「個人の善意の自粛」にひたすら頼る他なくなっている訳です。


第一波の時より圧倒的に検査数が増えているが故の「正しい」数字であるので恐るるに足りぬという見解もあるようですが、しかし季節が夏になっても相変わらず人が動けば比例して感染者数も増えるという状況を考えれば、やはり最善は「極力人の移動を減らすこと」でしょう。

次の大波が来た時にはこういう対策を取るとかこんな制限を設けるとか、ある程度具体的なプランを予め示しておくこともせず、ただなし崩し的にコロナ以前の状態に戻そう戻そうとすることはあまりに短絡的ではないでしょうか。



気候の変わりつつある日本は長い雨季とも呼べる時期に突入し、自然災害とコロナの両方に怯える日々が当面続きます。

既に各地で豪雨による大きな人的被害が発生しており、今後もいつどこでまた同様の災害が起こってもおかしくない状況です。


きっかけさえあれば第一波以上の大波がすぐにでも発生しそうな現状を、本気で恐れ本気で備えようと考えている政治家は果たしてどれだけいるでしょうか。



何もすぐに緊急事態宣言下の状態に戻せという訳ではありません。

ただ「政府や自治体に指示や命令をされなければ動けないのか」という意見については、決して多くはなくとも指示や命令がなければ適切に動けないタイプの人が一定数いるということは否めないと思われます。


緊急事態宣言が解除されてもコロナウイルスが消滅するわけではなく、引き続き注意及び予防が必要なことは誰もが理解している中で、それでも解除後に国民一人一人が自己判断で動いてみた結果の感染者数の再増加です、それは結局「新しい生活習慣」などの付け焼き刃の啓蒙はさして意味がないということの現れであり、やはりある程度分かりやすい形での制限を残さなければ確かな予防効果には繋がらないのでしょう。


無策のまま国民の動向を見守っているだけではまたいざという時の対応が後手後手になることは目に見えています。


土砂崩れや河川の氾濫が発生しやすい「地方」で、避難所でのクラスター発生という最悪の事態を引き起こす可能性を最小限にする為には、やはりいま明らかに感染者の集中している「都心部」から「地方」への人の移動を制限するという対策が求められるのではないでしょうか。


更なる経済の悪化と補償を避けたい一心で処置を怠り最悪の結果に泣くよりは、タイミングというものをしっかり見極めてその時々で国民の安全を最優先に考えていく勇気を持つべきだと私は考えます。



本日の東京都内の感染者数は200を超え、日により差はあるものの増加傾向にあることは紛れもない事実です。

そろそろな時期かと思いますが、さて何か動きはあるのでしょうか。


私は一年以上会えていない高齢独居の父の顔を見るべく初秋頃に地元への帰省を検討中ですが、やはりコロナの状況如何によっては難しくなる為まだ父には予定を伝えられずにいます。


何十年も生きていると色々起こりますが、親の顔ひとつ見るのもままならない事態というのは中々にしんどいものがありますね。

同じように故郷を離れている方々と共に、一日でも早く安心して帰省出来る日が来ることを祈りつつ努力を続けていきたいと思います。

日本に生きることそれ自体が費用対効果が悪い


賃金は上がらないどころか下がる一方なのに物価はドンドコ上昇、おまけにゴッソリ掠め取られる税金はムダな事と金持ちの財布を更に潤わせる為にしか使われず、良策として国民に還元されることはない…


こんな非道い国に生まれてしまったこと自体がもう残念極まりなく、かといって外国へ移住出来るほどの経済力もバイタリティも既になく、何もかも諦めて渋々暮らしていくにしても本当にこの上なく費用対効果が悪いなと感じる日々です。



気候が極端になり過ぎつつあるきらいはあるとしてもそれはある程度世界的な現象なのでさておいて、本来は素晴らしい国土、文化を持つ国であることは間違いありません。

行儀が良い、治安が良いというのも海外から見ると大層好印象のよう。


しかし行儀が良いのも治安が良いのも、行き過ぎた同調圧力や自由独立という名の牙を徹底的に抜かれ続ける教育の賜物だとしたら?

固定概念にとらわれずに物事の本質を見抜く判断力や、間違っているものに対して素直に間違いを指摘出来る決断力や勇気、現状打破のため決起する行動力…単にこれらが壊滅的に欠けているためにそう見えているだけだとしたら?


もちろんそこには日本固有の「奥ゆかしさ」という美徳のエッセンスが含まれていることも分かります。

しかしいくら優れたものでも極端に行き過ぎてはそれは逆効果になる。

上からの指示や命令に唯々諾々と従うことしか出来ない都合の良い国民しかいなければ、そりゃ政財界の皆さんも思う存分好き放題出来ることでしょう。

表立って言う勇気のない文句や意見をどれだけネットに上げてみたとしても、それすらも金と数の力で消し飛ばされ無かった事にされてしまうのですから。



明らかに悪事を働いていても法に触れさえしなければどんなに卑怯なことも狡いことも全て赦されると、時には解釈さえ都合よく捻じ曲げて居直り続ける人間たちを全て弾劾出来ない限り、この国は本当にあといくらも保たないでしょう。

彼らもそれを理解の上で搾り取れるだけ搾り取って、食い潰した後は他国に高飛びというお決まりのシナリオでは?



とりあえずトップの方はいい加減職を辞しましょうか。

何日連続で仕事をしていようが体調が優れなかろうが、そもそもそれぐらいで同情してもらえる程度の職責でないことは理解した上で就いているはずではないのですか? 

一度体調を理由にトンズラした経緯があるのですから尚更。

しかも国難とも言うべき非常事態で国民の為に身を粉にして働くのは至極当然である中、明らかにやつれてくる等の疲労による見た目の変化がある訳でもなく、どころか下らない動画を撮って国民の神経を逆撫でしてくる余裕まであり、とてもじゃないですが「あぁ、頑張ってくれているな」なんて思えようのないここまでのお仕事ぶりで正直同情の「ど」の字もない訳です。


お友達のご機嫌とりのための周旋でウラでどれだけご多忙だったかはついぞ存じませんが、しんどいならさっさと隠遁なさっては。

徒に痛感するばかりで一向に取ろうとしない膨大な数の責任もオールスルーならもうそれも結構。

「歴代最長かつ最低政権」の呼び名は欲しいままですからあとは件の奥様とお好きにどうぞ。



最後の最後の大英断?でベーシックインカム導入なんていうのもおつかも知れませんね。

物も知らず自ら考えもせずな人には土台無理な話でしょうが。


テレワーク万歳


昨年より本格的にテレワークを行っており、今回のコロナのために職を失ったり収入が激減したりといった最悪の事態は避けられ、その点は本当に有難かったです。

なにぶん相当な田舎でもあり、外に希望の職を求めようとするのは諸条件で大きく妥協をしたとしてもなかなか困難な環境。

願わくばしばらくの間は穏やかにこの現状を維持したいところなのですが。



しかし全く変化がなかった訳ではありません。

発注企業の都合で人員や労働時間が削られた為にお辞めになる方がおられたり、テレワーク業務への応募が常時殺到して入れ食い状態であるという状況自体が勤務中の私たちにとっても

(いつ首を切られるか分からない)

というプレッシャーとなり、ある種の妙な緊張感が生まれていたり…。

内心はみんな穏やかではいられません。



実際コロナ騒動の前後では求人への応募数が桁違いらしく、いかにテレワークが今後の私たちの暮らしに即したものであるか、また現在どれほど多くの人がテレワークという形態を望んでいるかを思い知らされました。

私は事情がありテレワークの仕事に就きましたが、新型コロナウイルスという禍いを経た現在では基本的に誰もが「なるべく人と接しない形で仕事をしたい」という事情を抱えることになりました。

業種として困難な場合を除けばとりわけデスクワークに従事する方々は、特別なこだわりがない限り今やみなテレワークの方が望ましいと考えていると思います。


通勤にかかる時間や混雑によるストレス、洋服代や飲食代などの経済的負担。

家で仕事が出来ればそんな余計なものからは解放されるのに…と長年苦痛に感じていた方は少なくないでしょう。

しかし、「仕事は会社でみんなでするもの」という古くさい固定観念や経済事情等により叶えられる企業はほんの一握り。ほとんどの会社にとっては遠い夢であった訳です。


しかしこのコロナ騒動により状況が一変しました。

社会全体がやっと「在宅(遠隔地)勤務」という形態にやむなく関心を向け、少しずつ舵を切り始めたのです。



これは、毎日の満員電車地獄を耐え忍ぶ首都圏在住者にとってはもちろんなのですが、私はむしろ地方在住者にとって非常に良いことだと思っています。


最低賃金に慣れ切っている労働者と改革を望まない田舎の事なかれ経営者にとって、突如として首都圏レベルの報酬の仕事が身近に降って湧いたらそれは事件です。

これからは同じような仕事内容でもこんなに割のいい職に就けるようになるのだ、と分かれば労働者はみなテレワークに群がるでしょう。

そうなれば当然経営者は労働者を囲い込むべく賃上げに踏み切らざるを得ないはず。それはいずれ業種の別も乗り越えて、地方の企業全体を飲み込む大きな波になる。


競争に耐え切れず潰れてしまう中小企業も多いと思います(特に地方に多い製造業は努力と創意工夫が必要でしょう)。

ですがある程度の淘汰は致し方ないですし、地方の労働者の収入が全体的に上がっていくことの方が意義としては大きいと感じます。


物価は首都圏と変わらず寧ろ高いくらい、その上生活維持に欠かせない車の維持費や燃料費などの余分な出費が多いのにも関わらず最低賃金も当たり前なレベルの低収入。

この極悪条件で若い人を呼び込もうなんて土台ムリな話だったものが、テレワークにより首都圏勤務時と大差ない収入を得られるようになれば、そこでやっと「静かで空気もよく食べ物も美味しい快適な夢の田舎暮らし」が現実的な魅力を帯びてくる。

所詮人間は霞を食って生きられる訳じゃないですから、生活の基礎としての収入が一定割合確保出来なければ「移住」だとか「Iターン」だとかいくら口で言ったところで到底叶わない訳です。



地方と首都圏との間にある「賃金格差」という名の馬鹿でかい壁がこのテレワーク化の流れにより取り払われ、国民が何の不自由もなく居場所の選択が出来るような世の中になってくれれば、多少は生きやすくなるのではないでしょうか。


「首都東京」に異常なプライドやこだわりを持つ方々にはもしかすると歓迎出来ないことなのかも知れませんが、この狭苦しい災害大国での人口と機能の集中はそもそもリスクが甚大過ぎです。

この機に少しずつでも変化させていくべきでしょう。



と、そこら辺まで考えて近い将来へ向けての具体的な施策が出来る政治家さんは現れてくれないものでしょうか。

いらしたら是非お教え下さい、全力で応援させて頂きます。