いなかの主婦よりもの申す

地方在住いち主婦の気になるニュース論

コロナ雑感


コロナ騒ぎ以来、それほど大きくないとはいえ我が家でも諸々の影響があり、未だにバタバタとして気の休まらない日々が続いております。

紫外線のせいなのか温度湿度のせいなのか、日増しに感染者の公表数が減りつつある現在、願うのは束の間でも世界を覆うこのピリピリした空気が(油断や自分勝手をするという意味でなく)薄まっていってくれること。

ただそれだけです。


撲滅出来ない以上、上手に共存していくしかありません。

自然災害とのダブルパンチ時の対処方法など、個人レベルでも覚悟や備えをしておかなければならないことは多々あります。

必要以上に恐れず焦らず、出来ることを出来る範囲でやっていきたいですね。



私が住んでいるのは観光県で、例年盆暮れ正月を含めた連休時には道路という道路に県外ナンバーの車があふれます。

現在は解除されている緊急事態宣言の真っ只だったGW中にも、変わらず県外ナンバーの車は多く走っていました。

もちろん特別な事情がおありの方もおられたでしょう。

「例年よりもいくらか少ない」位の頻度で見かけた県外の車の全てが不要不急の観光目的だったとは思いません。

しかし、テレビ等で報じられるよりもよほどGW中に出歩いている方々は多かった、というのが率直な実感でした。


私自身「自分の妻を平気で他県へ観光させるリーダーの言う自粛など誰が聞く耳持つか」と居直りたい気持ちがあるのですが、

「自分が勝手をすることで害を被るのは必ずしも自分自身ではない」

という事実が、

「人に負担や迷惑をかけることが何よりのストレス」となる私の性格上大変に恐ろしい為、未だ食料品等の買い出し以外は全く外出しない生活を続けています。



自粛要請に従わないパチンコ店に並んでいる方などにインタビューをすると、

「別に自分は(コロナに)かかってもいいので」

といった要旨の発言をされる方が多くとても驚きました。

自分がかかるかどうかだけの思考軸でしか判断が出来ず、そこから見ず知らずの人たちにウイルスをばら撒いてしまう危険性についてというところにまで考えが及ばない人がいるというのは、ちょっと怖いことです。


自分さえ良ければいいという考えが広く伝播してしまうと、いざ有事の際に取り返しのつかないことが起こりかねません。

現在の主だった政治家や財界人などを見回してみてもお分かりでしょう。



自分を律することは難しいです。

けれど決して出来ない人に倣わず、出来ている人に倣いましょう。

私も努力を続けます。

(本当は旅行が好きなので、旅に出たい…。)

布マスク要りません


いきなりサイズの合わない布マスクをつけて出てきて何のパフォーマンスかと思ったら「国民の皆さんに布マスク2枚プレゼント!の巻」でしたが、あんなちんちくりんなもの要りませんから何かくれる気があるなら現金か不織布マスクにして下さい。



話によれば「マスク2枚あげますって言えば国民はすごく喜んで安心しますよ!」的なことを首相に進言した人物がいるそうですが、一体どんなアンポンタンなのでしょうか。

トップがどんなにダメダメだろうとその不足を補って余りある有能な側近がいればなんとなく形にはなるというのが基本形であるのでしょうが、真顔で、本気でマスク2枚とか言っちゃうレベルの側近しかいないとなればそれはもう「悪夢」どころの話ではなくなります。

国内外からこれだけの冷笑を浴びても折れないそのムダな鋼のメンタル、願わくば別のシチュエーションで発揮して頂きたいものです。


あげれば国民から感謝されちゃうと信じてやまないほど布マスクに魅力を感じていらっしゃるなら議員や官僚の皆さんに謹んでお譲りいたしますので、しっかりご自分で毎日洗って身につけてカメラの前に出てきて下さい。


その代わりに布マスク分の経費

1枚200円×2+送料約100円

の計約500円、もうそのたったの500円でもいいので一律給付して下さい。

まだ自分の好きなものを買える分マシですから…せめてお菓子でも買って自分を慰めますから…。



しかし年間何十万と税金を搾取され、

物価も水道光熱費も上がる一方なのに

給与は上がるどころか下がる一方、

そこへきてコロナでさらに給与減、

心も財布も完全にズタボロにも関わらず

国から何の救いの手も差し伸べてもらえない大多数の国民のなんと惨めで悲しいことか。


外へ出るな、あれをやるなこれをやるなと国民にお願いするのは構いませんが、その見返りが皆無ではそうそう黙って言うことは聞いていられません。

どんなことになっても一定の収入が保証されている方々には到底分からないかも知れませんが、「自粛」というのは細々生きる我々にとって少なからず痛みが伴います。

そのケアをする気もなく一方的に協力をお願いし続けるだけなんて余りにも傲慢すぎると思いませんか?



「国民一致団結して難局を乗り切るために協力を」なんて気取ったセリフひとつで「応」とまとまれるほどもうこの国の人々の心の距離は近しくはなく、健やかでもなく、「格差」という大きな溝で隔てられて荒んでいるのです。

皮肉にもその中でも最もひらいているのが政治家の方々と国民との距離だと感じますが。

稀代の喜劇王逝く


思いがけない志村けんさんの訃報に接し、本日は文字通り涙に暮れています。

必ず復帰してくれと祈っておりましたが…まさかこんな形で急にお別れをすることになるとは。



物心ついて初めて触れたお笑いが「8時だョ!全員集合」で、当時の夜8時は私の就寝時間でしたがこの番組だけは母に頼み込んで毎週楽しみに見ていました。


毎度涙を流して大笑いする私を「何がそんなに面白いんだか」と呆れつつ時々こっそり笑っている母、「馬鹿なことばっかりやって」と言いつつ笑って見ている父。

ドリフの笑い、志村けんさんの笑いは私の子供時代の家族の団欒の記憶と共にあります。

若くして亡くなった母との数少ない思い出の中にドリフの存在があるのです。


いかりやさんが亡くなられた時も仕事に行く道すがらに泣き、仕事中も気を抜くと涙ぐみ…という有様で精神的に大変なダメージを受けたのですが、今回もとてもとても辛い。

子供の頃から当たり前に見てきたスターの死は、正直やりきれません。

それも流行り病が原因なんて、尚更です。



上京後、志村けんさんの出身地だからという理由で(本当)東村山に引っ越し、9年近く住んでいたことがあります。

当初そんなに長く住むつもりはなかったのですが、程よく静かで買い物などにも不便がなくとても住みやすい街で、結果的に在京年数の半分をそこで過ごしました。


だっふんだァ饅頭を買い、毎年の夏祭りで東村山音頭を聞き、駅前の「志村けんの木」を毎日愛で、完全に自己満足の世界ですが私の東村山ライフはとても充実していました。

一度くらいはご本人にお目にかかれるかな…とこっそり期待していましたがさすがにそれは叶いませんでした。

(むかし渋谷の劇場前でいかりやさんと遭遇した時も感動し過ぎて棒立ち状態だったので、たとえお目にかかれたとしても何も出来なかったでしょうが)



志村さんはまだまだテレビの世界が自由で、多分に創造的だった古き良き時代に現れたお笑い界の寵児でした。

「ドリフの人気者」から「芸能界の大御所」になってもコント主体のお仕事ぶりは少しも変わらず、一貫した職人としての生き様は見事としか言いようがありません。

「笑い」とは、そして「面白い」とはどういうことか。

その原点、本質をシンプルに全身全霊で体現し続けて下さったことを決して忘れません。



『人の気持ちがわからないヤツには、お笑いはできない』

常々そう仰っていたそうです。

人の抱える悲しみ、弱さ、哀愁を愛し、誰より繊細で生真面目で優しかった日本の偉大なる喜劇王


本当に本当にありがとうございました。

あちらでご両親やいかりやさんとどうか楽しく、おいしいお酒と煙草でごゆっくり。

こんなことが許されて良いはずがない


赤木俊夫氏の遺された手記には、財務省の報告書には記載のない事実が多数示されています。

それを丸ごと無視して「新事実はないため再調査はしない」のひと言で片付けることの出来る権利が果たして彼らにあるでしょうか?

絶対にありませんし僅かでもまっとうな良心を持ち生きている国民なら誰一人それを認めません。


再調査すべきか否かの判断を国民に委ねて下さい。総理をはじめとする各大臣らの弾劾権を国民に持たせて下さい。



政治家も官僚もいい加減にしましょう。

あなた方だけの日本ではありません。

あなた方が動かす日本の金はあなた方のものではありません。

どこまで傲慢を極めれば気が済むのでしょうか?

弱者(善)が一方的に排除されて強者(悪)がまんまとのし上がるようなことが罷り通る国は世界の恥です。



彼らにはもう二度と、「哀悼の意を示す」などといった白々しい台詞を公の場で吐かないで頂きたい。

人を死に追いやることは罪です。

直接的に手を下す者ももちろん間接的に指示を出す者はよほど重罪ではないのか?

他人の痛みや苦しみを理解出来ない馬鹿がいじめに手を染めやがて犯罪者となる、まさにその構図そのものです。



ここまでのことをしておきながら「在任日数憲政史上最長」など笑止としか言いようがなく、いかに性質が悪かったかという悪名だけが後世に残るのはもはや明白です。

まあ改竄はお手のものでしょうから、ご同郷の先人たち同様に偏向的な視点で強引に英雄然と名を飾るのでしょうね。



知っておいて頂きたい。

正義を持たぬ人はいつか必ずその報いを受けます。

共感力とは


この非常事態に、国の長はいったい何を思うのでしょう。

「国民のために今何をすべきか」を軸に考えれば行動も言動もわりとシンプルで分かりやすいものになるはずですが、残念ながら我が国のトップの思考ではそうはならないようで。


やる事なす事タイミングが悪く的外れ、国民との距離感は開くばかり。

そこに問題意識を持ってくれればまだマシですが、「どんな時でも自分には決して非がなく、たとえあったとしても周囲をねじ伏せて通してしまえばそれは非にはなり得ない」という暴挙・暴論が常にまかり通るという特殊なお生まれが災いし、国民と距離があろうと気にもしなければ距離があることにすら気付いていないであろうご様子。


これでよくここまで長くおつとめなされてきたものです。お世話役の方々のご苦労たるや相当のものだったはず。

しかし、そんなやりたい放題が通用するのは勢いがあり、それを許す基盤が強固な間だけです。

海外メディアからもやっと「無能な政府」との至極真っ当な評価が下され始めている今、ご本人にはちゃんと潮目を見て引き際を決めてもらいたいものですが、さてどうなるでしょうか。


あの、事あるごとに「先手先手」となんとかのひとつ覚えのように口に出すパフォーマンスは無駄かつ滑稽でしかないのでもうやめた方がよろしいかと。

よく国会でご自身が仰る「印象操作はやめて頂きたい」という台詞をそっくりそのままお返ししたいものです。



常日頃自分の我を通してばかりいる人は他者に対する共感力が乏しいです。

「相手の立場でものを考える」という習慣がないので、言葉にも表情にも考え方にも態度にも思いやりが感じられません(苦労せずに育った人特有の愛嬌はある場合も多いようです)。


そうした特徴が最も分かりやすく出たのが今回の「全国公立学校の休校要請」でしょう。

「後手後手対応」との批判に焦り、決断力のある自治体の長が褒めそやされるのを横目に見てそれなら自分も、とばかりに下準備も自治体への相談も何もなく、勝手かつ唐突極まりない大号令を発する。

自分の支持率を回復させる為。

五輪を成功させたいのも自分の為。

自国の安全より中国との関係を優先するのも自分の為。


自分、自分、自分。

判断基準は全て自分。

困っている人のために何とかしなければという動機から起こる行動ではないので、ピントやタイミングが合うはずがない。



最初から本気で感染拡大を抑える気があったならとっくの昔に検討して根回しをしていたはずでしょうし、号令した後の反響の大きさに慌てて「各自治体の事情に合わせて柔軟に」なんて後から日和見の注釈を付け足しもしないでしょう。

格好つけて言ってはみたものの、全責任を負うのは嫌だからと結局また責任の一部を自治体に投げたとしか思えません

(そもそもいつまで経っても「要請」という体での物言いを続ける姿勢自体が逃げ腰です)。


しかも年金受給開始年齢を引き上げて60代以上も働けと言い、更には主婦にも働けと言い、そうしてさんざん煽った挙句に何の前触れもなくいきなり「休校」と言い出しては、「じゃあ一体誰が子供の面倒を見るんだ!」と国民の怒りは頂点に達するわけです。

思いつきとその場凌ぎを積み重ねてばかりな為に自らの方針にすら統一性と整合性がないという、ある意味コロナウイルスそのものよりも破壊力のある爆弾的存在、どうなんでしょうそんな首相。



いくら子供の活動だけを制限したところでいつもと変わらず外に仕事に出る親との接触を防げる訳でなし、果たしてどれほどの効果があるのかは私には分かりませんが(むしろ変にテンションが上がってバンバン外出してしまうのではという懸念の方が大きい)、一刻も早く危機的状況を脱して安心して日常を送りたい気持ちは同じです。



ただでさえストレスのかかる満員電車に感染への不安も加わることでの精神的負担、またマスクを毎日長時間装着し続けることにより呼吸が浅くなってしまう等、普段と違う特異な状況が長引くことで生じる心身への影響も小さくありません。


くれぐれも無理はせず、可能な限りの自衛を尽くし、後はなるべくマイペースに乗り切りたいものです。

マスクはいずこに?


夫婦共に花粉症、そして夫は仕事中常に着用していることもあって我が家ではマスクは必需品です。


特にこれからの時期はないと困るのですが、毎週1億枚だか供給出来る目処が立って品薄状態は解消される…とかどなたかが先日仰ってましたけれど、


一向に手に入りませんがホントにどうしたらいいのでしょう?


どこの店に行っても「品切れ入荷未定」、ネットショップでも「販売停止」状態ばかり。

増産分は一体どこの誰のもとに流れているんでしょうか。


もし十分な量を生産しているにも関わらずこの状態であるならば、どこかで不自然かつ不公平な占有が行われているということですから調査の上速やかな是正が必要です。

もしくは医療機関優先など供給先に順番があって一般市民のもとに届くのはまだ遥か先という話なら、「市場の品薄状態はじき解消」なんて会見で安易に口にしないで頂きたい。

正しい情報を責任を持って報じるべきです。


この有様で今後本当に国民全体に行き渡らせるのに支障のない数を供給出来るのか?

彼らが保身のウソばっかりつくことはよくよく理解していますが、今は感染症拡大の危機という非常時です。

せめてこんな時くらいはまっとうな仕事をしてもらいたい。

中国にヘラヘラと気前よく大量のマスクをくれてやるのも結構ですが、その前に自国民の状況も考慮して下さい。



当初よく耳にした「マスクは予防の役には立たない」というのは今にして思えば、マスクを手に入れられない人々の不満が膨れ上がるのを回避する為にメディア操作に都合よく使われた方便だった気がしてなりませんが、ウイルスの粒子は一般的なマスクの繊維をすり抜けられる小ささであるということなのでまあ事実でしょう。

しかしやはり着けないよりは良く、まして誰が感染しているのか分からないカオスな状況に突入した現在、「感染拡大を防ぐ」ためには有効なのです。

だからこそ中国でだって日本でだって真剣に対策しようと考える人はマスクを求め続けている訳です。


たった一箱ですら手に入れることが叶わず無防備な状態で毎日満員電車に乗って通勤せざるを得ない人が大勢いるのを見て見ぬ振りなら、それはもはや先進国などではなく「とても恥ずかしい国」です。

個人で出来る対策をしろと言いながらその為に必要な最低限の義務を果たさない、それなら政府はいったい何のために存在しているのか。


自治体に人口ひとり当たり当座2〜3ヶ月分のマスクを配布して、役所の職員なりが世帯ごとに届けて回るくらいのことをしてもバチは当たりませんよ?

どうせ通り一遍の返ししかしない24時間電話相談窓口なんかに時間と労力を割くよりよほど国民のためになる気がしますが。


あの方も市井の暮らしを知りもせず「人混みを避けて生活して」なんてたわけた寝言をほざいてないで、試しに自分が人身御供で身体を張って罹患して、国民に経過報告をしてくれる程度の役に立っては頂けないものでしょうか。



初動が遅れその後の対策も後手後手で目も当てられない…とは誰もが思うところですが、もはやあまりに諸々が杜撰過ぎるのであのお偉いさんたちはもしかして、

この感染症を利用してあえて蔓延させて、高齢だったり疾患持ちだったりする人を淘汰して人口バランスを整えようと企んでいるんじゃないのか…?

なんて馬鹿げたことさえちょっと真面目に想像してしまいました。


ウキウキ育休取ったと思ったらコロナの対策会合すっぽかして地元の新年会で酒飲んで、指摘されて初めて渋々「反省してます」なんて言ってる輩もいるようですし…どうしてそこまで無関心無責任でいられるのかまったくもって理解が出来ません。

反省だけなら猿でも出来るし猿の方がなんぼか可愛いし不必要に国民の怒りを買うこともありませんからもういっそ交代してもらえませんか。



しばらく前にまとめ買いしてあった我が家のマスクの残りもあと少し。

どこのお店でも誰もが不自由なくマスクが買える正常な状態に一刻も早く戻ることを願ってやみません。

夫婦の姓は夫婦が決めればいい


夫婦が別姓を名乗ることのハードルがなぜそんなに高い必要があるのかの意味が私には分かりません。



ちなみに私は一人娘なのですが、父親は兄弟が多く特に私に対して姓を残して欲しい等の要望をしてくることはなかったので、結婚後は夫の姓を名乗っています。

特段そのことについて文句も感慨もありませんが、ただし姓が変わる時の諸々の手続きは本当に大変で面倒で、どれだけの時間と手間を取られたことか。

その当時は間違いなく、「なんで私だけ?」という不公平感を抱いてました。


別に姓が変わること自体はいい。

しかし変わる側の煩雑な手続きを何とかして欲しい。

そういう意味で選択的夫婦別姓には賛成。

この手のいわば「中庸寄りの賛成」的な意見の持ち主は多いのではないかと思います。

そもそも男も女も関係なくヨボヨボになるまでガンガン働けと言うならば、そんな手続きなんかにかけられる時間は到底ありません。

じゃあ一体誰がその面倒なのをやってくれるんだよって話です。



そして私のように自分の姓に対してこだわりも制約もさほどない人間はどうしてもこの程度の温度感でしか語れないのですが、時代は変わったとはいえ世の中はそんな人ばかりではなく、好き嫌いレベルのこだわりから何百年と続く家柄ならではの制約など、自身の姓を簡単に変えることが出来ない事情を持つ人も多いです。

せっかく好き合って一緒になろうというところまでいきながら「姓」一つのためにやむなくお別れなんて事があるとしたら、恋愛だの結婚だの自体が敬遠され始めている少子化現代においてそれこそなんと勿体ない話だろうと思います。

互いが自由に選べることにするだけで解決するのですから本来簡単かつ明快なはずなのに、何をそんなにモタつく必要があるのか。



なぜかと言えばそれは、自分の家とか姓とかに必要以上のこだわりを持たざるを得ないお生まれの、ガッチガチに凝り固まった価値観とおつむを変えられないお爺さん連中が政治の中枢に居座っているからですね。

それに彼らに媚び諂う「権力大好き」人間が同調するからです。

(そうでなければ私と同世代の女性が「姓を変えたくないなら結婚すんな!」なんてヤジを飛ばす心持ちも意味も理解が出来ません。おっそろしく古風で亭主関白万歳な奥ゆかしい女性なのか? そんな女性がそもそも政界に出てくるのか?)


どこまでもいっても自分のお家の都合だけが大事で、子や孫の代に至っても「嫁に別姓を名乗らせるなんてみっともない」的な身勝手な思考が働くのでしょう。



お爺さん方の時代には専業主婦の奥様なり姑さんなりが家にいて、外の仕事以外の面倒なことは何も言わなくても全部片付けてくれてそれが当然だったんですねきっと。

しかし今は違いますから。

男は外、女は内の単純な役割分担が不可能な生活にあなた方が変えたんですから。


他所の家から自分の家に嫁としてもらわれてきて養われるのだから、夫の姓に変わるのも当然、それに伴う面倒を被るのも女であって当然。

そんな時代錯誤かつ現実離れした誤った価値観を改めもせず自省もせず政治家を続けたいなら、世の主婦が皆専業になっても生活が成り立つだけの収入を世の夫全員に与えて下さいよ。

お爺さん方はホント言ってることとやってることの矛盾が甚だしいですね。



そして、まさに立派に女性活躍を体現してくれているバリバリのワーキングママや主婦の方たちにとっても、仕事をする上で自由に旧姓を使えるということは大きなメリットになる場合があります。

彼女たちを応援しこそすれ、別姓反対なんて幼稚な形で足を引っ張るなんて言語道断じゃないんでしょうか。



どちらかの姓に統一するのか、変わらず各々の姓を名乗るのかなんて、結婚する当事者二人が自由に選べば良いことで、つまらない縛りなんて早々に取っ払って幸せな家庭を一つでも多く生み出せる世の中にしていくべきだと思います。