正しいアナウンサーの在り方とは
最近、朝のワイドショーやニュース番組を見ていてとても強く思うのが、各局のアナウンサー(局員、フリー問わず)の方々の「正しく伝えるスキル」が、昔に比べて低下しているのではないかということです。
男女とも、ルックスはまるでモデルさんかそれ以上に素晴らしい方ばかり。皆さん学歴やお家柄、魅力的なキャラクター等、様々な個性を持って活躍されているのはとても良いことだと思うのですが…。
ただ、そもそも「アナウンサー」とは何ぞや? と考えてしまう瞬間があります。
それは生放送での読み間違いの時。
人間ですからもちろん間違えることはありますし、どんなに巧いベテランの方だって噛むことはあります。
ただその頻度と、間違いの質と、間違えた後の対応に、「?」と疑問符のついてしまう事が多いと感じていて、少なくともひと昔前まではここまで酷くはなかったのではないかと思っています。
気になる点は多々ある中で最も残念なのは、本人が間違いに気付かないパターン。
字句の読み間違い、アクセントやイントネーションのミス等々、訂正することもされることもなく大概そのままスルーされてしまうので、ご本人の学びに繋がらないばかりか、視聴者も何が正しく何が誤りか分からなくなってしまいます。
そして更にがっかりするのは、間違いには気付いても訂正するどころか、自分で自分の間違いにウケて思わず笑ってしまう人。もはや素人以下。
私が子供の頃テレビで見ていたアナウンサーの方々は、間違えたら即「失礼しました」と歯切れ良くお詫びをしてから正しく言い直す、または他のキャスターやアナウンサー、スタッフらからの指摘を受けてお詫びし言い直す…という対応をするのが常でした。
決して間違えない訳ではないのですが、「間違いに気付き、自らの技術や知識が拙かったことを謝罪し、正しく伝え直す」という対処がしっかり出来ていたのです。
なので見ているこちらが「…?」とモヤモヤすることは、殆どありませんでした。
今でも、報じた話題の内容そのものに誤りがあった場合などには、当然ながらお詫びと訂正がなされますが(まぁそもそも内容自体が誤っているなどという制作側のチェックミスは、それこそ昔はあまり見られなかった気がしますが)、片やアナウンサー個人の資質・技術不足に拠る失態が毎度とてもナチュラルに流されていく現状には、本人の意識の低さと局側の寛容さ(というか放置というか問題意識の欠如というか)に驚きを禁じ得ません。
もちろん一口にアナウンサーと言っても向き不向きがあって、比較的硬派な報道畑と比較的軟派なバラエティ畑との住み分けなど、本人の希望や局側の都合が入り混じり、育成も決して画一的でないことは分かりますし、むしろその点は今も昔も大きくは変わっていないと思います。
では何が変わったか。それは、
「アナウンサー=読み手、伝え手のプロ」という概念が廃れたことではないでしょうか。
今はおそらく「アナウンサー=タレント」という、本来は一側面でしかないものが前面に出過ぎてしまい、何ならそれが新たな概念となりつつあります。
しかし、これは危険なことではないでしょうか。
バラエティであれワイドショーであれ報道番組であれ、出演するアナウンサーには基本的かつ最低限のスキルとして、「正しく読む力」と「明確に伝える力」は必須です。
局の顔としてそれを担う為に存在する職がアナウンサーなのであり、プロとしてそれが務まって初めてお給料を得られるはずなのです、本来であれば。
その自覚や認識が薄れていくのを放っておけば、いずれアナウンサーと呼ばれる人たちの全体的なレベルの低下を招き、いざ有事の時に緊急報道がまともに務まるプロフェッショナルが皆無という嘆かわしい事態にもなりかねません。
人命に関わるような重大な情報を迅速かつ正確に伝えられる人員がいないとなれば、もはや放送局としての存在意義はないも同然でしょう。
この辺で一度、アナウンサーという技術職の本来の定義を見直してみてはいかがでしょうか。
ぱっと見では誰が誰だか見分けがつかないくらい皆が皆とびきり綺麗であることが重要なのでは決してなく、滑舌が良く聞き取りやすい声であることが最重要なのです。
優れた容姿はあくまで「おまけ」です。
正直いくら見た目が麗しくても何を言ってるのか全く伝わってこなかったり、礼儀や知性の欠けた言動や挙措が見えては、視聴者としてはその時点でアナウンサー失格と思わざるを得ません。
明らかに資質もなく、またろくに修練も積んでいない女子大生を青田買いし、アナウンサーとして続々とデビューさせる各局の雑な体制も、昨今のいわゆるフリーアナウンサーの飽和・使い捨て状態に拍車をかけるだけであり、甚だ疑問です。
テレビがマストな時代ではなくなった厳しい今だからこそ、見ていて、聞いていて安心できる「本物のアナウンサー」をしっかり時間をかけて育成し活躍させることが、テレビ復権への決して小さくはない一歩だと思うのですが、如何でしょうか。
予算がなくてお金をかけられないと嘆くよりも、正しく手間をかけてみては?