「違法性の有無」だけが判断基準なのか
最近テレビを見ていてよく聞くのは、
「違法性はないものと考えます」
というセリフ。
何かやらかした側の政治家や弁護士や企業の責任者が、そう言うことによって「ハイこれで事態は収束しました」感を堂々アピールします。
これって間違っていませんか?
法律は裁判の際の判断基準ではあっても、道徳上の判断基準ではないですよね?
例えば学校で陰湿ないじめが行われていても、明らかな証拠がなかったり、裁判の場に持ち込まれさえしなければ法制上有罪にはならない。
「違法性はないから」、悪くない。
いじめを受ける側は、泣き寝入り。
「違法性がないから問題ない」で全てを片付けるって、これが普通にまかり通るってことです。
でも実際はそうではありませんよね?
いじめが起こっているのに見て見ぬ振りをしていた学校や教育委員会の話題が出れば、徹底的に叩かれ謝罪に追い込まれますよね?
それが世の道徳の基準、「善悪」による判断の結果なんです。
違法かどうかなんてことよりももっと先に、大体の人は物事を善悪で判断する。
「違法性がない」=「悪くない」
ではないはずなんですよね。
法律のようにはっきり目に見えるものではないからといって、人として生きる上で大事な「善悪」というものをないがしろにしていいはずがない。
「違法性の有無」とは、「善なのか悪なのか」という物事の本質を体よく覆い隠す、ごくごく上っ面でしかないんですよね。
保身ばかりの政治家たちのおかげでこんな不誠実な文句をドヤ顔で使う人たちが民間にまで増えて、困ったものです。
いっそのこと、何か都合が悪い時の常套句として皮肉になるまで使い古されれば、逆に政治家が逃げの切り札として使いにくくなっていいかも知れませんね。