いなかの主婦よりもの申す

地方在住いち主婦の気になるニュース論

稀代の喜劇王逝く


思いがけない志村けんさんの訃報に接し、本日は文字通り涙に暮れています。

必ず復帰してくれと祈っておりましたが…まさかこんな形で急にお別れをすることになるとは。



物心ついて初めて触れたお笑いが「8時だョ!全員集合」で、当時の夜8時は私の就寝時間でしたがこの番組だけは母に頼み込んで毎週楽しみに見ていました。


毎度涙を流して大笑いする私を「何がそんなに面白いんだか」と呆れつつ時々こっそり笑っている母、「馬鹿なことばっかりやって」と言いつつ笑って見ている父。

ドリフの笑い、志村けんさんの笑いは私の子供時代の家族の団欒の記憶と共にあります。

若くして亡くなった母との数少ない思い出の中にドリフの存在があるのです。


いかりやさんが亡くなられた時も仕事に行く道すがらに泣き、仕事中も気を抜くと涙ぐみ…という有様で精神的に大変なダメージを受けたのですが、今回もとてもとても辛い。

子供の頃から当たり前に見てきたスターの死は、正直やりきれません。

それも流行り病が原因なんて、尚更です。



上京後、志村けんさんの出身地だからという理由で(本当)東村山に引っ越し、9年近く住んでいたことがあります。

当初そんなに長く住むつもりはなかったのですが、程よく静かで買い物などにも不便がなくとても住みやすい街で、結果的に在京年数の半分をそこで過ごしました。


だっふんだァ饅頭を買い、毎年の夏祭りで東村山音頭を聞き、駅前の「志村けんの木」を毎日愛で、完全に自己満足の世界ですが私の東村山ライフはとても充実していました。

一度くらいはご本人にお目にかかれるかな…とこっそり期待していましたがさすがにそれは叶いませんでした。

(むかし渋谷の劇場前でいかりやさんと遭遇した時も感動し過ぎて棒立ち状態だったので、たとえお目にかかれたとしても何も出来なかったでしょうが)



志村さんはまだまだテレビの世界が自由で、多分に創造的だった古き良き時代に現れたお笑い界の寵児でした。

「ドリフの人気者」から「芸能界の大御所」になってもコント主体のお仕事ぶりは少しも変わらず、一貫した職人としての生き様は見事としか言いようがありません。

「笑い」とは、そして「面白い」とはどういうことか。

その原点、本質をシンプルに全身全霊で体現し続けて下さったことを決して忘れません。



『人の気持ちがわからないヤツには、お笑いはできない』

常々そう仰っていたそうです。

人の抱える悲しみ、弱さ、哀愁を愛し、誰より繊細で生真面目で優しかった日本の偉大なる喜劇王


本当に本当にありがとうございました。

あちらでご両親やいかりやさんとどうか楽しく、おいしいお酒と煙草でごゆっくり。